仏法修行は勇猛精進の心を起こすべきである
世尊は浄飯王に、心を解脱の法門に置き、万法を捨て離れ、五欲の享楽を捨て離れ、五蘊十八界の虚妄の法を捨て離れ、勇猛精進し、正念と正思惟をもって万法を観察思量するよう勧められた。これら一切の法はまさに夢幻の如く、虚妄であり無常であり苦である。如実に思惟観察した後は、自発的に勇猛精進し、決意して修行に励む。心から真に認めたならば、解脱を証得することができる。
故に仏法を学ぶには、まず正法を聞き、次に正思惟し、理にかなった思惟を行い、正理に従って勇猛精進して修行すべきである。修行は必ず勇猛精進によってこそ成就する。これは仏法を学ぶことが湯を沸かす理屈と同じであるからだ。鍋の水を沸騰させようとするなら、絶えず火を加え続け、炎を持続させなければならない。そうして初めて水は沸騰する。もし沸かし途中で火が消えれば、水は再び冷めてしまう。また沸かしては火を止めることを繰り返せば、この鍋の水はいつまで経っても沸騰しない。勇猛精進とはこの原理であり、一気に勢いよく取り組めば、速やかに水を沸騰させることができる。修行がだらだらと緩んでいれば、進んだり退いたりを繰り返し、その過程で多くの時間と精力を浪費する。勇猛精進して決意して修行に励むこと、この決意こそが定力に属する。心を解脱の法に決定し、絶えず解脱の法を修めれば、結果として必然的に解脱を得るのである。
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