問:如来蔵の見分について、聖教量と理論から推論すると、如来蔵は識であるがゆえに、了別の機能を有している。しかしながら如来蔵の見分を現観するには、明心後の総相智と別相智の段階で現観可能であるはずである。例えば、それが七転識と協働して一切の法を運作する点から、七転識の心行を了別できることを観察することができるであろうか。これこそが『維摩経』において「知はこれ菩提なり、衆生の心の行いを了知するがゆえに」と説かれる所以である。
答:如来蔵の見分を了知するには、悟後の別相智と道種智を必要とし、如来蔵のより深微な運行を観察して初めて、如来蔵の具体的な了別性を証得できる。開悟の総相智のみでは、依然として如来蔵の了別性を了知することはできず、この種のいわゆる了知も単に聖教量に依拠した想像に過ぎず、実証ではない。そして如来蔵の見分を証得し、これを観察するには、道種智がなければならない。
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