花瓶を見る時、外界の花瓶があり、また私たちの心の中の花瓶があります。外なる花瓶は共業の衆生の如来蔵が共同で顕現したものであり、私たちが見ている花瓶は自己の如来蔵が単独で外界の花瓶に基づき、再び顕現させたもので、外界の花瓶の影であり、外界の花瓶の一つの仮の相であります。
花瓶を見る時、如来蔵・第七識・第六識・眼識の和合した働きがあってこそ、私たちは外界の花瓶の影を見ることができます。私たちが花瓶を見る識心は如来蔵より生じ、用いる意根と眼根は如来蔵より生じ、見る花瓶の色塵は如来蔵より生じます。それによって私たちは知るのです──私たち自身の全体が如来蔵より生じたものであり、実質的に全ては如来蔵であり、五蘊十八界というこの仮の我は、全て如来蔵が顕現させた一つの仮の相であることを。故に五蘊は我ならず、また我に異ならず。
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