衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年06月01日    金曜日     第1 回の開示 合計576回の開示

非情の物の中に如来蔵は存在するのでしょうか

無情とは、識心がなく、識心のすべての機能体性を持たないことを意味します。したがって、識別力がなく、心所法の運行もありません。

しかし無情もまた如来蔵によって顕現され保持されており、共業の衆生の如来蔵が共同で顕現保持しています。複数の如来蔵が共同で作用する場合、四大種子を出力して四大を形成し、宇宙器世間・山河大地・花草樹木などの無情物を顕現することはできますが、識種子を出力することはできません。よって無情物も如来蔵の機能作用ではあるものの、衆生の五陰の機能作用はありません。識種子の出力は個々の衆生の如来蔵の単独行為であり、識心を形成し、識心の機能作用を持ち、心所法が運行します。これが有情衆生です。如来蔵が四大種子を出力する場合と識種子を出力する場合とでは、形成される法に違いがあります。前者は識心活動なく五陰身のない無情物を形成し、後者は識心活動あり五陰身のある衆生を形成します。いずれも如来蔵の機能作用ですが、作用が異なるだけです。

如来蔵が五陰身において運作する際には、七識と和合し、七識心とともに運作します。七識心行を了別し、五陰身を活発に活動させます。一方、複数の如来蔵は無情物と配合関係を持たず、ただ四大種子を出力・変更するのみです。無情物には心行がなく、単独の如来蔵によって出生・運行されるものではないため、無情物の中に自らの如来蔵を見出すことはできず、したがって無情物においては証悟できず、明心することもありません。しかし五陰身の運行の中には如来蔵を見出し、証悟し、明心することができます。このため阿含経において世尊は「五陰は我にあらず、我に異ならず、相在せず」と説かれたのです。

——生如法師の開示
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