色身と如来蔵はパンと小麦粉の関係に喩えられます。如来蔵は小麦粉の如く、五陰はパンの如し。パンはすべて小麦粉から成り立っているように、五陰は全て如来蔵の機能作用であります。雪原の足跡に喩えれば、如来蔵は雪の如く、五陰は足跡の如し。足跡は全て雪であるように、五陰は全て如来蔵であります。金と金細工に喩えれば、如来蔵は金の如く、五陰は金細工の如し。金細工は全て金であるように、五陰は全て如来蔵であります。
もし私が「一切の法は如来蔵である」と説くならば、それは正しいのです。しかし他者が同じことを言う場合、誤りとなる可能性があります。なぜなら私はこの真理を如実に観行している故に、どのように説いても道理に適うのであり、観行していない者は想像に過ぎないからです。その道理を証得した時には、縦横無尽に説いても一切倒錯することはありません。証得せず推測や想像に留まる者は、その所以を知ることができないのです。
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