衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年05月29日    火曜日     第1開示 合計556開示

誰が六祖壇経を理解したのか

真の正信には、現量による観察の智慧がなければなりません。さもなければ、信は偏信や盲信に流れがちです。たとえ仏経であっても、真に智慧のある人は疑いを持ち続けるべきであり、なんとかして実際に証験する方法を探すべきです。ましてや仏が説かれたものでないなら尚更です。

ネット上には多くの人がいて、六祖は仏の再誕であり、その説く法には仏の証量があり、六祖はすでに仏として修成したと言っています。私は、これらの人たちが何を根拠に六祖をそのように断定しているのか、まったく分かりません。ある人を大学教授レベルだと認定するには、その大学教授以上の水準がなければならず、少なくとも同等の水準でなければ、相手を認証することはできません。今や末法の衆生は皆すでに仏に修成したかのようで、それで仏の智慧をもって六祖が成仏したこと、仏の智慧の証量を具備していることを認証しているのです。六祖壇経という薄い一冊ですが、おそらくこれらの人たちの中で読み解ける者は一人もいないでしょう。さもなければ、誰もこんな断定を下すことなど恐ろしくてできません。

——生如法師の開示
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