戒は定の前提であり基礎である。戒を守らずに定を修めることは、砂や石を蒸して飯を作ろうとするようなもので、決して飯を得ることはできない。末法の時代において、戒を守る者は既に極めて稀となり、戒体を得る者は更に稀となった。これは戒を授ける者自身が戒体を持たず、あるいは戒を犯して戒体を失っているため、他人がその者から戒体を得ることができないからである。
故に現代の仏法修行者において、禅定を成就し得る者は稀であり、観行の智慧を備えることは更に困難である。多くの者は書物を通じて理解するのみで、何かを得た、何かを悟ったと思い込むが、禅定という観行の基礎的かつ必要不可欠な条件がなければ、実証は全く望むべくもなく、三歳児が口先だけの禅を弄び、大層な道理を述べるに等しいのである。
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