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日常法話

2021年04月28日    水曜日     第4開示 合計3356開示

意根の本性はどのようなものでしょうか?

净和の体験談: ある日、私は椅子に座ってイヤホンで大悲咒を聴いていましたが、聴いているうちに眠ってしまい……夢は見ませんでした。その時、「目の前」(実は目の前ではありません。方向感覚がないからですが、当時は「方向感覚がない」ことに気づいていませんでした。まるで果てしない宇宙の中にいるような感じです。)は一面の暗闇の中に、何か動きがあるようでした。好奇心が生まれて、その原因を確かめたいと思ったところ、その動きは一点の光に変わりました。「私」(当時は「私」という概念はありませんでした)は引き続きその光へ向かっていきました。

「私」がその光に触れた瞬間、意識が生まれ、あの「動き」が実はイヤホンからの大悲咒の音だったのだと分かりました。(この時ふと気づいたのですが:原来、何かが身体から脳に入ると、五官が機能を発揮するようになるのです。)それから、意識が生まれる前の状態を思い出してみると、物心のつかない小さな子供のよう、あるいは小動物のようでした。何か動きがあると誘われるままについていってしまい、少しも反省する能力がありませんでした。 

評:眠っている時の「目の前」は目の前ではなく、意根が対象とする法です。なぜならこの時、眼識や意識はたとえ滅していなくても非常に微弱になっており、前後の方向感覚がなく、意根は法をはっきりと知ることができないので、ただ果てしなく広がる一面のように感じるのです。好奇心が生まれて光へ向かったのはまさに意根であり、これは意根が法に縁ろうとしているのですが、「私が法に縁ろうとしている」ということは分からず、自己に対する感知力が弱く、大悲咒の音に縁してもはっきりと弁別できず、ただ光のように感じるだけです。大悲咒には加持力があるので、まるで光のようだからです。 

意根が大悲咒の音に縁したばかりの、ちょうど光を感じた時に、微弱な意識が現れ、意識はこれが大悲咒の音であると了別しました。意識が音を了別した時、意根はすでに光(音)が脳に入ってくるのを感じており、意識は瞬時にそれを理解しました。この時五識が現れ、ずっと覚醒した状態になります。覚醒した後、意識は先ほどの過程を回想し、意根はまるで小さな子供のようで、定力がなく、現れた動きに好奇心のままについていき、非常に純真で幼く、同時にとても利口で、事があればどこへでもすぐに飛んでいくようだと感じました。もちろん意識が回想できるのも、意根が先ほどのことをはっきりさせたいと思い、意識に回想させたからであり、意識が現れる前のことを回想するには、意根が場面の素材を提供してこそ、意識すなわち私たちが、先ほど一体何が起きたのかを理解できるのです。 

この一節はまさに意根の心のあり方を正確に描写しています。純真で幼く、原始的で、自制力がなく、意識による世話と牽制が必要であり、意識による督促と先導が必要なのです。この意根に対するありのままの描写をよく味わい、意根の特性を吟味し、意根の体性をより深く理解してください。

——生如法師の開示
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