衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年05月19日    土曜日     第3 回の開示 合計515回の開示

如来蔵と記憶の関係(三)

我々が現在得て享受している一切の法は、如来蔵の宝庫から取り出されたものであり、その宝庫の中身は全て過去自らが蓄えたものです。つまり、我々が何を蓄えるかによって使用できるものが決まり、蓄えなければ何も得られないのです。仏陀となるためには、善き業の種子を多く蓄えねばなりません。種子を蓄えた後、将来初めてその享受を得られるのです。福報を得るためには、福を修める種子を蓄えなければならず、福を修める種子を蓄えていない者が福報を得ることは不可能です。求めるものに応じて種子を蓄え、蓄えたものに応じて結果を得るのです。故に身口意の行為を慎重に選び、如何なる造作が最大の真実の利益をもたらし、自らの利益を損なわず背かないかを弁え、注意深く選択的に造作し、清浄なる業行を極力積むべきです。

我々の五陰もまた如来蔵の宝庫にある種子に由来します。意根の無明により絶え間なく六識の身口意行が生じ、その種子が如来蔵心体に蓄積されます。命終えて因縁に遇えば、如来蔵は業種を出力し六道に転生し、五陰身を生じて業果報を受けるのです。故に五陰身の全ては如来蔵宝庫の種子に由来し、五陰全体即ち如来蔵なのです。

譬えば天上の白雲が猫犬の形を現すが如し。白雲が変じた猫犬は白く肥え、甚だ愛らしく、人はその相貌に執着して、全てが白雲の集まりであることを忘れます。白雲は如来蔵に譬えられ、猫犬の形象は五陰身の如し。観察すれば猫犬の一点一画も白雲ならざるなく、全体的に白雲より成ります。同様に、我々の五陰は時処所縁にわたって如来蔵に由来し、一切の相貌作用は如来蔵宝庫より出で、五陰身の全材料もまた宝庫に由来するのです。

如来蔵宝庫の入口を見出し悟りを開くことは、実は難事ではありません。難所は我々の福徳不足、定力不足、慧力不足、菩薩六波羅蜜の条件不足、願力不足にあり、これが障壁となるのです。これらの条件が具われば世に難事なく、真の難しさは十分な善業種子を蓄えていない点にあります。種子が不足すれば宝庫から十分な資源を取り出せず、明心見性は困難を極め、我見を断つことも同様です。十分な福徳資源を享受し自性清浄心を証得するには、善業種子を多く蓄えねばなりません。戒定慧の修行種子、菩薩六波羅蜜の修行種子、菩薩の大福徳種子等を数多く蓄積し、これらの種子が充足した時、初めて大小乗の道果を証得できるのです。

——生如法師の開示
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