衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2018年05月19日    土曜日     第4 回の開示 合計516回の開示

覚受の虚妄

蚊に刺された箇所がかゆいが、具体的な位置が特定できないのはどのような道理を説くか。注意を他に転じて思索にふけると、かゆみを感じなくなるのはなぜか。

外部の足部における触塵が勝義根に伝わり内触塵となる。意根と意識が勝義根内の触塵を了別する際、具体的な位置を明瞭に弁別できない。これは伝達神経の問題かもしれず、位置情報が正確に伝わっていない可能性もあり、あるいは現じょうが不鮮明であるか、識心の弁別が不十分であるかによる。いずれにせよ、第六識と第七識が了別する触塵は、真実の足の触塵ではない。されば我々は七識が接触する色声香味触法に過度に執着すべきでない。これらは全て虚妄不実の法であるから。七識そのものも依然として虚妄不実であり、七識の覚受も同様に虚妄不実である。よって識心の受覚は我にあらず。

意根と意識が足部の内触塵に作意しなければ、明瞭な覚受も生じない。故に注意を転ずれば、かゆみを感じなくなるのである。ここに覚受の虚妄性が明らかとなる。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

如来蔵と記憶の関係(三)

次の記事 次の記事

如来蔵は去後と来先に可能か

ページのトップへ戻る