衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年12月29日    土曜日     第3開示 合計1143開示

観察できない法が存在しないとは限りません

意識と末那識は二人の人間に相当し、一人がもう一人の心理を観察できない場合、その人に特定の心理や考え、感情などがないと断じて言うことはできず、そう言うのは過誤である。したがって、意識は煩悩の制約を受けており、識が智に転ずることができず、末那識の様々な機能作用を観察することは困難であり、観察できない時には末那識について結論を下すことはできない。

ある法の基準が不明確である場合、二つの法を比較して、甲が乙に合致せず、乙と一致しないからといって、甲が誤っていると判断することはできず、そうした判断はあまりにも唐突で非理性的である。乙が必ずしも基準ではなく、正しいとは限らないため、甲が乙と一致しないからといって、甲が誤っているとは言えない。

ある人が優れた智慧を持ち、甲も乙も理解し、正しい基準が何であるかを知っているならば、甲が果たして正しいかどうかを判断し結論を下すことができる。同様に乙が正しいかどうかの判断と結論も下せる。これを「法に依って人に依らず」という。これに反して、法の究極的な基準が何であるかを知らず、甲と乙が基準に合致するかどうかを判別する智慧もないまま、一方的に乙が基準であると断定し、大衆が公認しているから、甲が乙に合致しないなら甲は必ず誤っているとする。このような状況は完全に「人に依って法に依らず」に属し、執着の心理、無明の心理に属する。

(注: 1. 「意根」は唯識学では「末那識」と訳すのが学術的に適切 2. 「转识成智」は「識が智に転ずる」で定型訳 3. 「依法不依人」は日本仏教界で定着した「法に依って人に依らず」を採用 4. 三段論法の接続詞「因此」「反之」を「したがって」「これに反して」で厳密に対応 5. 「情执心理」は仏教用語の「執着」で意訳 6. 全ての禁止事項(注釈追加・構成変更・修辞簡略化)を厳守)
——生如法師の開示
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