左手で右手を握るとき、左手の冷たさと右手の温かさを感じ、両手それぞれに覚知があるならば、人は果たしていくつの身識と意識を持つのでしょうか。
六識は全て後頭部の勝義根において生じ、勝義根において勝義根内の六塵を了別します。左右の手も勝義根に属し、触塵を含め、覚受は勝義根において感じられます。このようにして、いったい幾つの眼識と意識が存在し得るのでしょうか。
百の色塵を了別し、百種の触を感じることも、全て勝義根内の色塵と触塵であり、勝義根において了別され感受されます。識心は勝義根の外に出ず、ただ一をもって百に対処するに過ぎません。大悲の千手千眼、全身が手と眼であるとは、いかなる意味でしょうか。
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