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日常法話

2018年12月30日    日曜日     第2開示 合計1145開示

業種と七大種子はそれぞれ独立したものなのでしょうか

業種と七大種子が独立しているかどうかについて、まず業種がどのように形成されるかを見てみましょう。業種は、七つの識心が色身において造作した身口意の行いによって形成されます。その中で、業を造る主体は意根であり、意根が六識を指図し、唆し、指揮して色身を利用して身口意の行為を造ります。これらの行為は種子の形で如来蔵に存在し、将来因縁が熟すると、種子が根を張り芽を出し、現行に現れて果報となり、因果の法則を実現します。

七つの識心は七大種子中の識の種子から形成され、色身は七大種子中の地水火風空の五大種子から形成されます。もう一つの見大種子は、如来蔵が万法を見る機能作用です。七大種子が和合して運作し、業行を造り、業種を形成します。この全過程は、如来蔵の機能作用であると言えます。

業種と七大種子の関係は非常に密接で、七大種子がなければ業種は存在しません。しかし、業種は七大種子から独立しています。例えば、地水火風空の五大種子が如来蔵に戻るとき、業行を伴って戻ることはできず、五大種子自体も業行や業種を造りません。見大種子が如来蔵に戻るときも業行や業種を伴いません。では、七つの識の識大種子は業種や業行を伴って如来蔵に戻るのでしょうか? 確かに業種や業行は伴いません。なぜなら、仏が『楞厳経』で説かれているように、識の種子自体は清浄であり、善性でも悪性でもなく、無記でもなく、永遠にそのままであるからです。したがって、識の種子は業行や業種を帯びません。ただし、識の種子が如来蔵に戻るとき、その分別や了知の行為は種子の形で如来蔵に追随しますが、識の種子とは一緒にはなりません。

業行には善・悪・無記(不善不悪)の区別があります。これは、識の種子が生じ七つの識を形成した後、心所法が伴って運行し、識心が初めて善・悪・無記の三性を持つようになるのであり、識の種子自体にはこの三性はありません。心所法が運作して現れた後、識心は善悪三性の業行を持ち、業種を形成します。そうすると、業種は識の種子と混ざり合うことはなく、識の種子は依然としてその本来の清浄な属性を保持し、再び出力されるときも清浄な識の種子のままです。ただし、識の種子に配合して現れる心所法にはそれぞれ善・悪・無記の三性があるため、識心が善悪三性を持っているように見えるのです。

心所法が識心の運行に伴って初めて善悪三業が生じ、心所法が善悪三性を持つのであって、識の種子が形成した識心自体には善悪三性はありません。そうすると、業種は心所法と関係があり、心所法が変化すれば業種も変化し、心所法が清浄であれば業種も清浄になります。したがって、七大種子と業種は二つの異なるメカニズムであり、非常に大きな関連性はあるものの、混同すべきではありません。

では、七大種子が如来蔵から出力されるとき、業種の情報を帯びているのでしょうか? 帯びることはできません。なぜなら、七大種子は清浄であり、業種と混ざり合わないからです。全ての衆生、仏の七大種子も含めて平等一如であり、差別はありません。差別は心所法にあり、業種は心所法と関係があります。識心の清浄か否かは心所法と関係があり、修行の鍵は心所法を変えることです。七大種子を変えるのでもなく、識の種子を変えるのでもありません。これらの種子は変えることができず、ただ心所法を変えることによって、続いて業種が変わり、絶対的に清浄になることで、初めて如来蔵と同じく清浄な仏世尊となることができるのです。

——生如法師の開示
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