衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年01月01日    火曜日     第1 回の開示 合計1148回の開示

色薀とは何か

色とは色蘊のことであり、五蘊の一つである。相貌・形体・色彩を有し、顕色・形色・表色・無表色を含む。後三者は法処所摂色である。顕色は青黄赤白を指し、形色は大小方円長短広狭を指す。表色は色の形状や姿勢、身体の運動や動作、行来去止などを指す。無表色は色相に現れる美醜・魅力・風情・気質・学識・教養・平静・憤怒・明朗・情熱などを指す。法処所摂色は色声香味触に現れる法塵であり、意根に対応し、意識によって認識される。色にはまた衆生色・男女の色相・宇宙山河大地・植物鉱物・家屋宮殿などの無情物も含まれる。

『金剛経』に「色をもって我を見、音声をもって我を求むるは、この人邪道を行ず、如来を見ることを得ず」とある。これは如来や法身仏・真仏を見るには、色相や音声の相をもって求めてはならないことを示す。色や音声などの六塵の相を有するものは真仏ではなく、報身仏・応身仏・化身仏である。三十二相八十種好を具えるが、これは化現した生滅有る仏である。魔王波旬も福徳の力によって仏の相貌を化現できる。仏涅槃後、第四祖優波鞠多は波旬に釈迦仏の身相を化現させて拝謁しようとした。波旬は実際に仏の色相を化現し、林から現れ、弟子たちを従えて来た。優波鞠多は一見して本物の釈迦仏と思い、思わず礼拝したが、波旬は礼拝に耐えきれず原形を現した。故に如来を見るには色相に執着せず、色相を通して見てはならないのである。

——生如法師の開示
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意根自らが証得するこそが真の智慧である

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