衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年05月11日    金曜日     第3開示 合計468開示

境界環境は心に随って転ず

三界は唯心、万法は唯識であり、穢土も浄土もすべて唯心の所現、唯識の所変であり、心を転じれば境界を転じることができますが、自分自身の境界しか転じることはできず、他人の境界を転じることはできません。境界とは、各人それぞれの如来蔵心の内にある相であって、他人とは関わりがありません。自分が修行して心を清浄に転じたとき、見られる内相分の境界も転じ、当然、感召される外相分も清浄になることができ、識心が転じたとき、一切の境界もそれに伴って転じるのです。

維摩詰経の中で、わたしたちの娑婆世界は五濁悪世であり、いたるところが丘陵や坑坎で、汚く穢れていると言われています。舎利弗は、世尊が菩薩道を行じていたときに心が清浄でなかったためだと疑いました。ところが世尊は「これはあなたたち自身の心が清浄でないために、不浄の世界国土を感召したのであって、わたしの心が清浄でないのではない。わたしの目には、娑婆世界はきわめて清浄なものに見える」とおっしゃいました。世尊の言われたことは如実語であり、世尊の目には、娑婆世界は確かに極楽世界と同じように清浄無染であり、衆生は内心に染汚があるために、見られる世界が清浄でないのであり、仏心は清浄であって、見られる一切はすべて清浄であり、すべては仏の無垢識の性なのです。世尊はこの理を証明するために、足の指で地を押されました。すると世尊の海印が発光し、たちまち娑婆世界は極楽世界と同じような荘厳清浄で、殊勝この上ないものに変わりました。これが仏の見られる世界であり、仏心の変現した世界なのです。

世尊は同じように衆生と共に住み生活しておられますが、見られる境界は衆生とは異なり、正報も依報も異なっています。外見上は衆生と同じように現わされていても、実は衆生と仏とはきわめて懸隔が遠く、それは心が清浄でないためなのです。ですから、わたしたちが修行して心をもう少し清浄にすれば、外界の事物に対する感知も相対的に正確になり、現われる境界も変わります。それは内心の思想の境界が変化したからです。衆生は無明のために知見が顛倒し、世間に対して誤った認識を持ち、身口意行が清浄でないため、清浄でない境界を感召することになるのです。修行して心が清浄になった後には、境界や環境は心に従って転じ、見られる一切がすべて浄土となります。それは自分の如来蔵心が変現したものなのです。

——生如法師の開示
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