衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年05月11日    金曜日     第4 回の開示 合計469回の開示

意根と業種の相応

意根は直接に業と相応し、業種と相応します。前世の業種は、意根に現れることができます。意根の習気が業力であり、善業もあれば悪業もあります。意根が善業と相応する時は善の習性として現れ、悪業と相応すれば悪の習性として現れます。意根が善業と相応すれば智慧が生じ、悪業と相応すれば甚だしく愚痴となります。

衆生には善業もあれば悪業もあり、衆生の意根は善業とも悪業とも相応します。時に智慧があり、時に愚痴となり、ある面では智慧を有し、ある面では愚痴となります。例えば畜生は一般的に愚痴であり、それは悪業です。しかし畜生にも聡明な智慧の一面があり、これは否定できません。前世において人や天人、菩薩であった可能性もあり、六道を遍く巡り、あらゆる業種が残存しています。畜生には畜生固有の智慧が備わっており、それは先天的なもので後天的な学習を必要としません。畜生は愚痴ゆえに、より深い思惟分析や推理判断ができず、常に直感に頼って生存し環境に対応します。この直感こそが意根の覚性であり、愚痴の面と智慧の面を併せ持っています。畜生の意根の智慧とは、宇宙器世間の変化に敏感で、先駆的な感知能力を有することを指します。人間が知り得ない災害や重大事を、畜生は感知し、感覚が極めて鋭敏であるため、この先見性によって生存環境に適応します。人間にはそれができず、必ず意識の思惟分析や推理判断に頼り、科学的手段を用いて初めて宇宙器世間の変化を認知します。

——生如法師の開示
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