心が生ずれば種々の法が生じ、心が滅すれば種々の法が滅す。法には色法と心法が含まれ、色法は地水火風の四大種子によって構成され、衆生の色身身根と宇宙器世間を含む。色法には色声香味触法の塵相があり、識心によって了別される相分である。心法は七つの識心の了別作用であり、見分に当たり、識種子の流注によって生成される。
まず色身が如何にして出生するかを観察し、その条件を明らかにする。十二因縁法において仏は「無明を縁として行が生じる」と説かれた。無明が存在する故に、衆生の身口意行は止まない。「行を縁として識が生じる」とは、身口意行が絶えず生じる故に六識心が継続することを指す。「識を縁として名色が生じる」とは、六識が断絶せず存続する故に意根が胎に入り、受精卵を生じる。受精卵は色、意根は名であり、これにより名と色が合わさって最初の生命体を形成する。「名色を縁として六入が生じる」とは、受精卵が成長して五根を生じ、六根が具足することを六入と称する。「六入を縁として触が生じる」とは、六根が六塵と接触することを指す。「触を縁として受が生じる」とは、接触後に六識が生じ、六識心の感受が生起することをいう。
「受を縁として愛が生じる」とは、感受を得た識心が六塵の境界に貪愛を生起させること。「愛を縁として取が生じる」とは、貪愛によって意根と六識が六塵を執取しようとすること。「取を縁として有が生じる」とは、識心が六塵を執取する故に来世の生存条件が具足し、三界の有が生起すること。「有を縁として生が生じる」とは、三界法が具足する故に生命体が三界に出生し、名色がこのように生起することを指す。名には七識と受陰・想陰・行陰・識陰が含まれ、色は色陰であり、このように五陰が生起する。これにより意根の攀縁が絶えず、六識の分別が継続する故に生命体が断続なく出生し、この点において妄心が絶えず生起する限り色法も継続して生起する。
さらに重要な問題として、妄心のみ存在すれば色法は生じ得るか。生じ得ない。七識は生滅断続し自性なく、業種を収蔵できない故に色法五陰を生じ得ない。縁覚法には十因縁法があり、色法の究竟的な由来を説明する。縁覚が十二因縁を逆観して思惟する時、「何が有る故に生命体が生ずるか」と推し、三界法が存在する故に生命体が生起すると結論する。さらに「何が有る故に三界法が存在するか」と推し、執取が存在する故に三界の有法が生起すると結論する。執取には四種あり、欲取は境界への貪愛、見取は五陰を我と執すること、我語取は我見と我慢、戒禁取は理に適わず解脱できない戒律の執着を指す。
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