衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年05月09日    水曜日     第3 回の開示 合計461回の開示

五蘊の運行の背後に秘められた奥義

現代に製造される機械は全て自動化された流程であり、人工操作が見られないものさえある。これらの機械は絶え間なく運転し、プログラムごとに作動している。このような運転は全て因縁法であり、一定の因縁によって機械が動いているのであって、機械は理由なく突然動き出すことはない。機械を動かす縁は数多く存在し、各縁はそれぞれ異なる。縁が異なれば運転の法則も異なり、加工される製品も異なる。しかし機械を動かす因とは何だろうか。機械自体が自動的に動くことができるだろうか。

また家庭の洗濯機を例に取れば、水の中で衣類を攪拌し続ける動作は一つの流程である。この流程はどのように発生するのか。洗濯機自体が自ら回転するのか。人間が操作しなければ洗濯機は単なる鉄の塊であり、何もできない。人間がボタンを押すことで初めて洗濯機は作動する。しかも洗濯機の自動化された流程は全て人間が設計したものであり、人間が電源を入れて初めて機能する。次々と続く流程の運転は自然に存在するものだろうか。機械の運転の中に私たちは何を見出せるだろうか。

世事を知らない子供は、機械が人間によって操作されていることを理解しない。大人が機械の傍にいないのに機械が自ら動いているからだ。すでに世事を理解した人ならば、たとえ機械を操作する人間の姿が見えなくても、機械が誰かに操作されていることを知っている。洗濯機を私たちの五陰身に喩えるなら、五陰の運転は流程のようなものである。この流程は理由なく存在するものではなく、原因なく生じるものではない。縁があり、さらに因がある。では五陰を運転させる因とは何だろうか。

五陰が実体として存在しないのに運転を続けられるのは、不思議ではないだろうか。問うべきである:なぜ虚構が作用を持つのか。いったいなぜなのか。五陰を自然に存在するものと見做せば、疑念が生じず、探求せず、真相を知ることはない。私たちは物事の表面だけを見てはならない。現象の背後に隠された数多の秘密を、私たちは知っているだろうか。一切の事物の本質とは何か。表面に現れた通りのものだろうか。智者は探求すべきであり、真相を理解し、内に秘められた奥義を解明する努力をすべきである。

五陰身の運転する流程の背後に、真実の存在がなければ、五陰身はなお運転し続けられるだろうか。流程は存在し得るだろうか。色身の五陰が滅した後には何が残るのか。身体が火葬された後には何が残るのか。阿羅漢が涅槃に入った後には何が残るのか。何もなくなると考えるのは断滅見であり、断滅空であって仏説に背く。五陰が滅しても霊知心は滅びず、この霊知心が一切の事を知り、来世へ赴くことができると考えるのは常見であり、永久に存在すると説くのは常見であって仏説に背く。

——生如法師の開示
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