衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年05月09日    水曜日     第1 回の開示 合計459回の開示

仏法の修証には多大な善根福德が必要です

仏法は悟り難く修行も難しく、衆生は三大無量劫を修行する必要があります。もし仏法が容易に理解され証得され修行できるものであれば、衆生は三大阿僧祇劫を修行せずとも仏道を円満成就することはないでしょう。もし仏法が容易に理解されるなら、仏は衆生に相応の善根福德と戒定慧を備えるよう強調されないはずです。三蔵十二部経を五度読んでも、仏法の縁に触れず、悟りの影さえ遠く望めない者もおります。衆生は無量劫にわたり迷妄に沈み、虚妄の世間法に浸りきっているため、深遠なる仏法を真に理解することは容易ではありません。

仏が四十九年間説法されても、涅槃の時点でなお無数の衆生が仏法を半解し、あるいは全く理解しない者さえおりました。阿難は衆生の救い難い愚痴と仏法の誤解を見て、仏涅槃後百年を経て自ら娑婆世界を去らざるを得なかったのです。本来なら禅定力と福德によって長劫にわたり世に住し、仏に代わって衆生を教化できたはずでした。仏涅槃後、老僧が若僧に解脱道の法を「水老鶴」と誤って教えると、阿難がこれを正そうとしましたが、老僧は改めず、むしろ阿難が老いて仏の説法を覚えていないと反論しました。これにより阿難は悲嘆のあまり娑婆世界を去ったのであります。

繰り返し強調しますが、皆様には多く福を修め、善根福德を培うようお勧めします。しかし福を修め善根を養おうとする者は稀で、仏法を理解できないのは当然のこと、仏法は福を修めようとしない無福の者が容易に理解し証得できるものではありません。仏法を証得するには大いなる福徳が必要で、大福徳あってこそ大智慧が生じます。小さな根機と浅い智慧では、深遠なる仏法とは到底相応しません。世間法の成就ですら福徳を要するのに、ましてや生死を超える出世間の大事、無量劫の煩悩を解脱する大事、ましてや仏道成就という不可思議なる極大の事柄においておや。自己のみを思い利己に走る者が、どうして無我性の如来蔵の大法と相応できましょうか。

——生如法師の開示
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