心不相応行法は、総じて二十四種類ある:得(とく)・命根(みょうこん)・衆同分(しゅどうぶん)・異生性(いしょうしょう)・無想定(むそうじょう)・滅尽定(めつじんじょう)・無想報(むそうほう)・名身(みょうしん)・句身(くしん)・文身(もんしん)・生(しょう)・住(じゅう)・老(ろう)・無常(むじょう)・流転(るてん)・定異(じょうい)・相応(そうおう)・勢速(せいそく)・次第(しだい)・時(じ)・方(ほう)・数(すう)・和合性(わごうしょう)・不和合性(ふわごうしょう)。
心不相応行法は、八識心王(はっしきしんのう)・五十一の心所法(しんじょほう)・十一の色法(しきほう)が共同して顕現したものである。例えば、無常という心不相応行法は、第八識・第七識・第六識および五識が共同して和合し、作用を起こして顕現したものであり、八つの識による万法への作意(さい)・触(そく)・受(じゅ)・想(そう)・思(し)という心所法によって顕現し、十一の色法の上に顕現する。心法の上にも無常は顕現し得るが、これらも全て八つの識と心所法が共同して作用を起こし顕現したものである。これらの無常法は七識の妄心(もうしん)によって決定されるものではなく、七識の認識に従ってその無常性が変わることはない。それゆえに心不相応行法と呼ばれる。
五蘊(ごうん)の無常には、八識が共同して和合し作用を起こして顕現するものがある。八識と心所が共同して五蘊を出生し、感受を生じ、了別(りゃくべつ)を生じ、様々な造作(ぞうさ)を生じる。それは眼・耳・鼻・舌・身、色・声・香・味・触、法処所摂色(ほっしょしょしょうしき)の和合する所に顕現し、六識および心所の処(しょ)に顕現する。他の心不相応行法もすべてこのように顕現する。それらは我々の覚知心(かくちしん)によって決定されるものではない。我々の心が如何なる状態であれ、如何に認識しようとも、無常は無常である。我々の貪愛(とんあい)によって五蘊世間が常(じょう)に変じることはなく、これは心によって決定されるものではない。同様に、時・方・数・老など二十四の心不相応行法は、すべて八識・心所と十一の色法が共同して顕現したものであり、七識の妄心によってその存在の有無が決定されるものではない。
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