衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年05月06日    日曜日     第4開示 合計442開示

証量の違い、見解の違い

問:私の理解では、『楞厳経』の意味するところは、聞性が如来蔵に帰属する場合には不生不滅であり、二乗声聞の解脱道に帰する場合には生滅性であるということでしょうか。

答:地上菩薩の唯識種智の証量から言えば、三界の万法を観察するに、すべて如来蔵が七大種子をもって生じ出したものであり、すべて如来蔵そのものです。明心を得たものの唯識種智を持たない者の立場から言えば、三界の万法と如来蔵は一でも異でもありません。如来蔵の聞性は不生不滅であり、耳識の聞性は生滅を有します。唯識の教えによれば、耳識の聞性もまた如来蔵の聞性であります。般若の立場から見れば、耳識の聞性と如来蔵の聞性は一でも異でもないのです。

——生如法師の開示
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仏法の縁起観は外道の縁起観と異なる

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