衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年04月28日    土曜日     第1 回の開示 合計424回の開示

性罪と戒罪

問:破戒の前提は既に戒を受けたことにあるべきですが、戒を受けていない場合に破戒の説法はありますか。

答:破とは破壊を意味します。戒を受けていない者に破戒は存在しませんが、悪業の重い者には遮障があります。重戒を犯した場合は殷重に懺悔し、好相を観る必要があって初めて悪業を消除できます。改めて受戒する必要があります。臨終に遮障がなければ極楽浄土に往生できます。もし臨終の一念に悪業の境界が心に現れれば、直ちに悪業に随って悪報を受けるのです。臨終前に心の念を清浄にし、雑念を生じさせてはなりません。そうして初めて三悪道に堕ちずに済むのです。

初果向と初果を得れば、罪を滅することも可能です。ただ業障の遮障によって初果向を得られないことが懸念されます。仏は重戒や重罪を犯した弟子に対し、実相を説き五陰の虚妄を説かれました。弟子たちは罪を滅しただけでなく、実相を証得したのです。

勇施菩薩が開悟する以前、邪淫戒を犯し殺人教唆の罪がありましたが、仏が大乗の無生の理を説かれたことで開悟し実相を証得しました。阿闍世王が父を殺害した際、仏が五陰の虚妄不実を説かれたことで極重罪を滅し、無根信を得ましたが、初果向は証得できませんでした。その罪があまりにも大きかったためです。もし仏が説法されなければ、無根信さえ得られなかったでしょう。ただし阿闍世王が母を殺害していたなら、罪を滅することも無根信を得ることも困難であったと考えられます。

受戒後に破戒する場合、性罪(心性の罪)と戒罪(戒律違反の罪)の二種があります。未受戒の者には性罪による遮障のみが存在します。しかし戒を受けない限り、戒律が円満せず、道業は増進できず、証果と明心見性が妨げられるのです。

——生如法師の開示
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