衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年04月28日    土曜日     第2 回の開示 合計425回の開示

意識の識における末那識の識と阿頼耶識の識

問:静かに心を落ち着けて仔細に体察する時、明々清清とした「我」が存在することがはっきりと感じられます。その「我」とは何でしょうか。その「我」を知る「知」とはまた何でしょうか。

答:明々清清とした我を体得するとは、この「我」が最も観察し体得しやすい意識の様々な機能作用であります。すなわちこの我が体得し、観察し、分析し、思考し、判断し、覚受し、感知し、抉択し、思想し、推理し、探求するなど、これらの受藴・想藴・行藴・識藴の機能作用であります。そしてこの我の様々な機能作用を知る「知」とは、意識の反照作用による知であり、意識心の証自証分であります。

これら一切法の運作過程において、意識の様々な知の中には、必ず意根の知と第八識の知が存在し、意根と第八識の機能作用が含まれております。意識が知る時には、必ず意根の知が相伴い、また必ず第八識の知が相伴います。意根の知が欠ければ、意識は必ず滅びて存在せず、生起することもできません。第八識の知がなければ、意識の知も必然的に存在せず、必ず生起せず、必ず滅び消滅します。

——生如法師の開示
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