衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2019年01月05日    土曜日     第1開示 合計1155開示

悟り前に種子を浄化できるでしょうか

業の種子を浄化するには、一般的に煩悩を断除した後、もはや煩悩による業を造らなくなり、その時初めて種子が清浄となります。煩悩の習気を断除する過程では、習気が少しずつ断たれるにつれ、業の種子も少しずつ清らかになります。煩悩が完全に断たれていない間は、身口意の行いがまだ悪業を造り続けるため、業の種子は浄化されません。悟り以前は、諸法の実相を証得しておらず、我見が残っているため、なお我に執着し、我のために悪業を造り続けるため、業の種子は清浄になりません。悟りを得た後、真如を証得し、諸法が空なる性質であること、五蘊に我が無いことを知ることで、次第に煩悩を降伏させ、我のために造る悪業が徐々に減少していきます。初地に入って初めて、明らかな悪業を造らなくなり、種子が清浄化し始めます。しかし、煩悩の習気と無明がまだ残っているため、微細な悪業や不善業が現れることは避けられません。

仏法を学ぶ者は、自心を内観する習慣を身につけることで、速やかに煩悩を降伏させることができます。その後も引き続き煩悩の断除に努め、初禅定を修得して初めて、次第に煩悩を断ち始めることが可能になります。そうでなければ、単に煩悩を抑え込んでいるだけであり、後で縁に遇えば再び貪瞋痴の業を造ってしまいます。我見を断ち明心した後、初禅定を得て初めて煩悩を断除する能力が備わります。これ以外の方法は全て煩悩の抑圧に過ぎず、根を断ち切っておらず、根が残っていると再び煩悩の草が生えてきます。一つの池の汚水を清浄にしようとするなら、まず最低限、これ以上汚水を注ぎ込まないようにし、その後で汚水を浄化する方法を考えるべきです。もし汚水を注ぎ続ければ、汚水を清浄にすることはできません。したがって、種子の浄化は悟りの後に可能であり、悟り以前は煩悩を抑え込み、できる限り悪業を造らないようにするだけなのです。

——生如法師の開示
前へ前へ

意根と意識が同時に証されて初めて功徳の受用がある

次へ 次へ

種子は実有であるか

ページトップへ戻る