業種の浄化は、一般的に煩悩を断じた後に、もはや煩悩の業を造作しなくなって初めて、種子が清浄となります。煩悩習気を断除する際には、習気を少しずつ断つごとに、業種が少しずつ清浄になります。煩悩が完全に断たれていない時は、身口意の行いがまだ悪業を造作するため、業種は浄化されません。悟り以前は、諸法実相を証得しておらず、我見が残っているため、依然として我に執着し、我のために悪業を造作するため、業種は清浄になり得ません。悟りを得た後、真如を証得し、諸法が性空であり五陰に我無きことを知ることで、次第に煩悩を降伏させ、我のために造作する悪業が徐々に減少します。初地に入って初めて、顕著な悪業を造作せず、種子が清浄化を始めますが、依然として煩悩習気と無明が残っているため、微細な悪業不善業の現れを免れません。
仏法を学ぶ者は自心を反観する習慣を養うことで、迅速に煩悩を降伏させることができます。その後さらに精進して煩悩を断除し、初禅定を修得して初めて、次第に煩悩を断じ始められます。さもなければ単に煩悩を抑圧するのみで、縁に遇えば再び貪瞋痴の業を造作します。我見を断じ明心した後、初禅定を得て初めて煩悩を断除する能力を有し、これ以外は全て煩悩の抑圧に過ぎず、根を断たず草を刈るのみで、根本が除かれなければ再び煩悩の草が生じます。一つの池の汚水を清浄にしようとするなら、まず新たな汚水を注ぎ込むことを止めねばならず、その後初めて汚水を浄化する方法を講じられます。もし汚水を注ぎ続けるなら、汚水を清浄にすることは叶いません。故に種子の浄化は悟後の段階にあり、悟前はただ煩悩を抑圧し、極力悪業を造作しないようにするのみです。
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