衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年04月29日    日曜日     第4 回の開示 合計432回の開示

識心の知性を活用した参究の方法

第七識の知が仏性であるとする見解がありますが、これは真妄を弁えず、仏性の妙用を根本的に理解していません。第七識にも知はありますが、その知と仏性の見覚性は機能作用が異なり、同一のものではありません。仏性は第七識を離れずに存在し顕現しますが、第七識の知の内実は仏性とは大きく異なります。第七識は第八識中の識大の作用であり、仏性は第八識中の見大の作用です。『楞厳経』に説かれる見大こそ仏性であり、仏性は思惟を過度に明らかにする必要がなく、深く参究する必要もありません。明らかにし過ぎると福徳と定力が具わらず、仏性を見ることが困難になります。

明心後に禅定と福徳を修め、両者が具足した時、仏性を参究すれば見性の機会が得られます。一つの条件が欠けても見性は叶いません。故に条件が熟さない内は仏性の内実を深究せず、福徳を修め定力を養うべきです。未到地定が深まった時、細心に仏性を参究すれば、見性の機縁が訪れます。

第七識が知る法とは何でしょうか。第七識には微細な了別慧があり、六塵中の法塵境界を知り、第八識が顕現する一切の法塵相を知りますが、それは粗相のみで細部や具体的内容は知りません。第八識が現起するものに縁り、縁ったものを知りますが、その知は具体的な法塵の内容ではなく、おおまかな輪郭のみを認知します。

参禅に用いる知は、表面上及び初期段階では第六識の知が主となりますが、後期段階及び深層では意根である第七識が主体となります。第六識は第七識を補佐し、関連する理論的根拠を提供します。そうして第七識は深細に思量し抉択します。しかし第六識の知性は常に第七識の知と不可分であり、第七識が深く作用するからこそ第六識の分別了別性が発揮されます。参禅は主に意識を用い、この知性を修め、絶えずこの知の念を意根に懸けて保持します。この念を話頭に転換すれば、速やかに参禅が可能となります。知念が転じた瞬間に参禅の念となり、一切法を知る念を話頭や公案、ある法の内実に置き換えて参究すれば、いつの日か証悟を得ることができるのです。

——生如法師の開示
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第八識の了別性と証自証分

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