衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年04月29日    日曜日     第5 回の開示 合計433回の開示

第八識の了別性と証自証分

第八識の証自証分について、第一に凡夫および地前菩薩は第八識の証自証分を観察できない。第二に第八識の証自証分の内容は意識の証自証分の内容と異なる。第八識は無我であり、我の存在を知らないが、しかしそれもどの法を運行したかを知っており、既に運行したものは繰り返さず、未完了のものは継続して運行し、如何に運行すべきかを知っている。

第八識の無我性たる証自証分は、言語で明確に説明するのが極めて困難である。あたかも第八識の了別性と了知性のように、第八識は六塵を了別するか? もちろん了別する、さもなければ如何にして六塵を顕現し、六塵を改変し、六塵を執持することができようか。しかし第八識のこの種の了別は、六識のように具体的な内包を了別することはできず、六塵を了別した後、了別したものが何であるかを知る。第八識が六塵を了別した後、何も知ることなく、再び了別と運行を続ける。第八識の機械的な了別方式は、コンピューターがプログラムを了別する如く、コンピューターも字体を了別し文字を書くことができるが、字体が何であるかを知らず、意識は字体が何であり、どのような意味があるかを知る。

洗濯機も指令を了別して衣類を洗うが、指令の具体的な内容や意味を知らず、意識はそれを知る。第八識の運作了別了知性は、あたかもロボットの無心の如く、作業を行うが、結局何をしたかを知らず、意識はそれを知るのである。

——生如法師の開示
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