衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年04月27日    金曜日     第2 回の開示 合計420回の開示

意根が識を智に転ずる三段階

後天の平等覚性とは、意根が一切の法を平等に対処する体性を指します。意根が本来の不平等性から平等性へ転じる過程は三つの段階に分かれます。第一段階は初地に入る時、意根が初めて正式に識を転じて智と成し、その体性が一分の平等性を具えるようになります。第二段階は八地に入る時、意根が再び識を転じて智と成し、より平等な平等性智へと進化します。第三段階は成仏間際、意根が最後に識を転じて智と成し、完全なる平等性を体得します。意根が識を転じて智と成した後初めて、一切衆生を仏と見なし、皆が自性清浄心を有し成仏可能であるという初歩的な平等性が達成されるのです。

意根の平等覚性は、仏地に至って真に平等を具足します。一切衆生を見る際にその真如の自性を観じ、衆生が自性の観点において平等であることを了知し、不公平な対応が生じることはありません。衆生が善であるから慈悲を垂れるのではなく、不善であるから慈悲を施さないのでもなく、仏は一切衆生を平等に対応され、常に慈悲心をもって衆生を観照されます。ただし仏は無量の智慧を具え、衆生の根機利鈍を見極め、必要に応じて対応されます。我々が如来蔵を証悟していない段階で得る覚りは、全て意識心の覚悟に過ぎません。

意識心の覚悟には多種多様な段階があります。凡夫の覚悟、明心見性した賢者の覚悟、十地菩薩の覚悟、そして仏の覚悟です。凡夫の覚悟は生活の苦を理解し、苦悩から脱し、修行し、解脱を証し、明心見性を求める段階です。賢者の覚悟は法界の実相を覚り、智慧を得て、徹底的な解脱と成就を願う段階です。十地菩薩の覚悟は無生法忍の大智慧を獲得し、自利利他を実践しながら次第に仏果を円満させようとする段階です。後天覚知心の真の覚悟とは明心見性であり、如来蔵を見出した後、一切法が自性清浄心如来蔵より出生顕現し、一切法が如来蔵性であることを覚知することに他なりません。

——生如法師の開示
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