平等なる覚性は如来蔵の先天の覚性と、後天的に修得された覚性に分けられますが、どのように区別すべきでしょうか。
先天の覚性とは如来蔵そのものの覚性を指します。如来蔵の覚性を真に理解するためには、まず如来蔵の本体を学び、その後禅によって如来蔵を証悟し、自ら如来蔵の本質を眼前に観察する必要があります。特に仏性を徹見した後は、六根において如来蔵の妙なる覚性を証得することになります。明心開悟せず如来蔵を見出していない者は、如来蔵の覚性を如実に知ることができず、あくまで相似的な覚知にとどまり、自証の境地には至りません。
後天的に修得される覚性とは、七識たる覚知心の悟性を指します。この覚知心の悟りには多様な内容と段階があり、小乗の悟り、中乗の悟り、大乗の悟り、悟り以前の覚醒、悟り後の覚醒などが存在します。これらは全て七識が諸法に対して形成する比較的正確な認識と理念であり、従来の状態からの変化を表しています。
真心と妄心という二つの本質を明確に区別すれば自ずと理解できます。特に真心を見出していない段階では、全ての覚醒は当然ながら妄心たる七識の属性に属します。明心見性した後は、意識心は次第に真如如来蔵の本質に帰依し、これに学び近づいていきます。同時に意根も感化を受け、貪瞋痴の性質を徐々に軽減し、自己中心性を弱め、不平等性を減少させつつ、平等性を次第に増大させていくのです。
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