衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年04月27日    金曜日     第4 回の開示 合計422回の開示

煩悩即菩提

覚には真覚と妄覚の分れあり。煩悩を覚る心は必ず妄覚の第七識にして、真覚はこれを覚らざるなり。妄心の覚あるが故に、衆生は煩悩あるを知り、真心の覚あるが故に、衆生は煩悩を生じ、現起し、煩悩を顕現せしめ、また自らの煩悩性を反観し得るなり。この二種の覚は異なる作用を為す。妄覚は感知する能く、妄覚自ら本より煩悩を具え、自ら己が煩悩を感知す。真覚は煩悩の源処なれど、煩悩を感知せず。

故に煩悩即菩提と説く。煩悩と菩提の関係は一にあらず異ならず。一にあらざるとは、菩提は煩悩に等しからず。煩悩には生滅あり、菩提には生滅なし。煩悩は菩提に依って生じ、菩提は自ら生ぜず、外縁に依らずして存在す。煩悩滅ぶとも菩提は滅せず。異ならざるとは、煩悩は菩提を源とし、菩提の一部たり、また菩提の作用の顕現なり。故に煩悩ある処に必ず菩提を見出すを得べし。悟りとは飲食・排泄・行住坐臥・言談笑語などの煩悩事の中に、これらの煩悩なき菩提心体を識得するに在り。

——生如法師の開示
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