衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年01月06日    日曜日     第1 回の開示 合計1157回の開示

いずれが定業であり、いずれが不定業であるか

業果が実現する因縁がまだ熟していない場合、この業は不定であり、懺悔によって消滅し、証果によって消滅し、自性を悟ることによって消滅し、菩薩の地に入ることによって消滅し、いかなる果位を証得することによっても消滅します。業果の因縁が既に成熟したものは定業であり、一般の人にとっては必ず報いを受けます。ただし修行に力ある者は、業果が実現する際にも重罪を軽く受け、あるいは業果を転換することが可能で、これらは一概に定まっていません。

聖人にとっては、一切の業果は不定であり、実現させたり転換して実現させなかったりすることが可能で、全てはその人の心次第です。究竟の理地において言えば、一切の業果は不定です。もし業果が定まっているならば、衆生は成仏できません。なぜなら衆生が無量劫の罪業を永遠に滅し尽くせず、罪業を滅し尽くせなければ成仏できないからです。しかし現実の世界において、十方の諸仏は無数に存在し、罪業は既に余すところなく消尽されているため、一切の業果は定まっていないと言えるのです。

——生如法師の開示
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