衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年01月06日    日曜日     第2開示 合計1158開示

意根懺悔文

自分を懺悔する 無始より今世に至るまで

止むことなく 仏陀の全ての宝蔵を盗み

愚痴と傲慢をもって 己のものとし 普遍的に分別し

一切を執着しながら 一切が本来仏陀であることを知らず

どうして自分があるだろうか 我と我の所有 利益を見て義を忘れ

恩養を知らず 執取によって 一度も逃れたことがない

業障の深い穴 世々に貧困 生々に苦難

自分を懺悔する 無始より今生に至るまで

一切を分別し 我と執り 我見我慢

我愛我痴 恒に審らかに思量し 遍計所執

見ることを我と執り 聞くことを我と執り 嗅ぐことを我と執り

味わうことを我と執り 触れることを我と執り 識ることを我と執り

我はなす能うと執り 一切の事業を 我は分別能うと執り

一切の法理を 我は成し能うと執り 比類なき徳尊を

今日こそ知った 実は自分は 何一つとして存在しないと

自分を懺悔する 無始より今生に至るまで

我の根身を執り 我の器界を執り 我の神通を執り

我の徳能を執り 我の成仏を執り 我の弘法を執り

我の衆生救済を執る 今日こそ知った 実は自分は

何一つ為し得ないと 私は以前から 妄りに世俗を執着し

今に至るまで 妄りに出世を執着した このような妄執を

深く痛感し 世尊は決して 私に授記を与えられない

授記を望み 盗心死なず いつか登ることができよう

無上の宝座に 今から後 どこへ行き何をなすべきか

盗人か君子か 私は選ばねば 心を洗い面を革め

過ちを改めて新たに 一切の非我のものを返還し

清らかに裸で何もなく 任運逍遥 無為のままに去らん

——生如法師の開示
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