如来蔵の不可知の執受は、五陰十八界の一切の法に対する執持の作用である。あまりにも隠微であるがゆえに、衆生は了知することができず、不可知であるというのであるが、諸仏菩薩は深く知って疑いない。例えば、一本の指を切断しても、短時間のうちに指を接ぐことができ、指は相応の機能作用を有する。接ぐ前のこの期間、自らの如来蔵はなおもこれを執持しており、落ちた指には神経活動が残り、筋肉は死肉とはならない。この執持作用こそが如来蔵の不可知の執受である。
もし如来蔵のこのような作用を知るに至れば、それは如来蔵の可知の執受である。墓中の骨が朽ちないのは、すべて如来蔵が執持しているためである。もし如来蔵が執持しなければ、灰すら存在しない。成仏の時に至れば、如来蔵の執受の作用は、仏がことごとく明らかに了知して、知らざる一法もない。故に不可知とは、いかなる人に対して説くかによる。知る者にとっては可知の執受であり、知らざる者にとってこそ不可知の執受なのである。
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