意識がどれほど法を知っていても、末那識(意根)が知らなければ疑念が生じ、心は安泰せず落ち着かない。末那識の疑いを解決し、再び疑わせないためには、意識だけに知らせるのではなく、二つの識を共に参究させるべきである。触証した後は両方の識が共に知るため、疑いは消滅する。疑いを断ち信を生じるには、意識の疑いだけでなく、末那識の疑いを断つことがより重要である。
したがって法を学ぶ際、意識は推測を控え、禅定の中で末那識と共に参究すべきである。意識の疑いは浅く、末那識の疑いは深い。疑いが深ければ深いほど、解決後の晴れやかな心境はより大きく、智慧は増大し、身心の転換もより顕著になる。
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