衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年01月07日    月曜日     第3開示 合計1161開示

意根をどのように見つけるか

「私…私…私」と心の中で思う時、ここで意根のいわゆる「私」を探します。ここでの「私」は意識と意根の両方を含み、それら二つの体性を分離することで意根の「私」を見つけることができます。その中でより深く隠れていて、非常に頑固で、決断力があり、あまり人の言うことを聞かないものが意根の「私」です。これは意根の作用する場所で意根を探し、意根を証得する方法です。「私…私…私」と思った時、ここで反省することができますが、これはかなり困難です。

ここでどちらが意根の「私」か反省します。「私」と言う時、ここでの「私」には第六意識心が思う「私」もあれば、意根が思う「私」もあります。それら二つを分離した後、初めてこの意根の「私」を証得できますが、これには多少困難が伴います。主導性において、常に主導するもの、つまり「私は何をしよう」「私はこうしよう」という時に主導し決断するその心が意根です。それを探せば比較的迅速に、また容易に見つけることができます。

もう一つ、意根を証得する最適な時期は、突発的な事件が発生した時です。自身の反応を観察してください。突発事件が起きた時、自分はすぐに反応し、思考を必要としません。反応時に決断するその心、それが意根です。この上で探してください。より突然で、自身の対応がより迅速である時、これが意根です。意識心は反応する暇も、思考する暇も全くなく、全ては意根が無始劫以来の習気及び慣性に基づいて決断し、選択を行うからです。そして六識にすぐに身口意行を生じさせます。非常に迅速です。

例えば、外から突然何かが飛んできて、すぐに自分にぶつかりそうになった時、あなたは機転を利かせて一瞬で避けます。思考する暇もなく、避けようと決断したこの心が意根です。それは無始劫以来、身体を私として執着し、ずっと色身の私、色身の状態及び色身に関わる状況を縁としてきました。それらを全て知っており、突発的な事態に遭遇すると、身体にすぐに避けるように命じ、少しの危害や危険も受けないようにします。この急いで避けると決断するものが意根です。

あるいは家でお湯を沸かしている時、お湯が沸騰して突然手や体に少し跳ねた場合、あなたがすぐに手を振るう、この決断をするものが意根です。意識心は反応する暇がなく、この突然の熱い触塵(感触対象)が身体に接触しても、意識は感じ取る暇がありません。熱いとは感じるかもしれませんが、何が起きたのか思考・考慮する暇がなく、意根がすぐに避ける・手を振るうと決断するか、あるいはこの状況をどう処理するか決断し、身体に迅速な反応と対応をさせます。これが意根の決断です。手を振るった後で初めて感覚が生じ、心で少し怖くなったり、苦しく悲しくなったりします。この時の反応が、意識心の反応です。

意根と意識の二つの体性を分離します。分離した後は、意根を見つけやすくなります。では八識については、各識を一つずつ分離し、単独の識に分解し、各識の働きを観察すれば、各識の機能と体性を知ることができます。七つの識を分離し、全て見つけた後、残ったものが第八識です。このように八識を観行すれば、すぐに証得でき、また非常に直接的です。五蘊の虚妄性を観察し思惟するのも同様で、五蘊の活動を一蘊ずつ分けて観行すれば、各蘊の機能と体性が理解でき、ある蘊の生滅変異性を観察することができ、それが無常・虚妄・無我であるとわかります。

——生如法師の開示
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学法の要は禅定の中で意根とともに参究する意識にあります

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意識と意根の対立

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