法师様に一つの事例をご提供申し上げます:私が何か問題を抱えた際、禅定の状態に入って問題を提起した後、直接その問題の解決策を見ることができました。問題解決は思考の結果ではなく、直接的な観察の結果によるものです。
事例解析:ここで彼が言う「思考」とは、意識表面の思惟作用を指します。しかし、問題を意根(末那識)に委ねさえすれば、意識表面が思考しなくても、意根は独自の思量性と思考力を有しており、一般人の意識ではこれを観察できず、了知することができません。意識が思惟思考を行わなくても、一定の時が来れば答えが得られます。この答えはどこから来るのでしょうか? それは意根自らが思量して導き出したものであり、意根の思量作用は非常に優れたものです。参禅の最終段階における参究は、多くが意根の思量機能によって作用しています。この事実を多数が認めるか否かにかかわらず、これは紛れもない事実です。
賢明な方は決してこのような多数派の一人にはなりません。
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