衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年04月18日    水曜日     第4 回の開示 合計378回の開示

一切法は意根の道具

いかにして一切の法が意根の道具であり、意根が一切の法を必要とし、一切の法を解決することを証明すべきか。

楞厳経において世尊はこの問題を説かれている。天地が未だ生じていない時、ただ末那識と阿頼耶識のみが存在し、末那識は渾沌として法界を明らかにせんと欲し、外に向かって縁を攀じ求めると、阿頼耶識はこれに随って天地宇宙の器世間を生じさせ、続いて五蘊六識を生じ、十八界が具足する。かくして末那識はこれらの法の中で遊戯しつつ、常に出離することを得ず、これらの法に緊縛され、自在と解脱を得ることができない。最後に善根福德の因縁が具足する時、意識に牽引されつつ三界世間法の実相を探求し、生命の意義を探り、生死を出離する道を見出し、一切の無明を破り、実相に帰り大解脱を得て、家に帰って安坐するもまた帰すべき家なく、ここに天下は初めて太平となり、一切の法は寂静に帰し、万事大吉となるもまた万事なし。

末那識が阿頼耶識を引き連れて五蘊世間の一切の法を創造し、また五蘊六識を用いて真諦を求め、無明の闇を破るが、実際にはこれら全ての過程は阿頼耶識によって完成される。ここに阿頼耶識が末那識に従順に使われていることが窺え、大いなる度量をもって子供の遊びに付き合うも何の妨げがあろうか。末那識という子供が次第に成長して道理を悟る時、もはや悪戯をせず、阿頼耶識を煩わして悪事を働かせず、遊びに耽ることなく、事を構えることもなく、阿頼耶識の大いなる度量に学び、心量広大となり、ここに寂静を得て三界は静寂となる。さらに阿頼耶識の大いなる度量に学び、他の子供たちが皆成長するのを助ける時、全ての世界は太平となるのである。

——生如法師の開示
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一切法は意根自ら証得すべし

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第八識の見聞覚知性の極めて殊勝なること

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