衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年04月18日    水曜日     第5開示 合計379開示

第八識の見聞覚知性の極めて殊勝なること

第八識は衆生が立てたものだと言う人もいる。我々が立てれば存在し、立てなければ存在しないと。しかし実際には第八識は我々が立てる必要は全くなく、もともと存在している。誰もがこれを覆そうとしても覆せない。永遠に滅びることはなく、誰もどんな力を使ってもこれを消し去ることはできない。衆生が認めようと認めまいと、第八識はいつも黙々と働き、一切の法を衆生に捧げ、黙々と働く牛のように、ただ耕すだけで収穫を求めない。

第八識は世の中で最も正しい眼であり、一切の法を見ることができながらも何も見ず、一切の法を知ることができながらも何も知らず、一切の法を聞くことができながらも何も聞かず、一切の法を覚ることができながらも何も覚らない。見ることもなければ見えないこともなく、知ることもなければ知らないこともなく、聞くこともなければ聞こえないこともなく、覚ることもなければ覚らないこともない。第八識が無知であるのは、第八識が六塵の境界に対応せず、六塵の境界を分別せず、一切の法に対して具体的な了別を行わず、また覚観がなく、名辞概念がなく、知見がなく、観点・意見・見解を持たないからである。

しかし、第八識は何もかも知り、何もかも見、何もかも聞き、何もかも覚っている。これはなぜか。第八識は業種を了別できるからである。第八識が業種を了別する時、一切の法を了別する。同時に第八識によって運行する仏性は、一切の法において運行することができ、一切の法に対して見性があるため、一切の法を覚り、一切の法を観ることができる。この種の覚観は七識の覚観とは全く異なり、その見性も七識の見性とは全く異なり、衆生は往々にして区別がつきにくい。

第八識は業種を了別した後、業種に基づいて一切の法を変造しなければならない。もし一切の法を知らなければ変造できず、あるいは乱れて変造することになり、因果が合わない、因がなくて果がある、果があるのに因がないという現象が現れる。しかし衆生の因果はこれまでに一瞬たりとも乱れたことがない。これにより第八識が業種をありのままに了別し、業種に基づいて一切の法を出生させ、因果律を実現できることがわかる。実際、第八識は一切の法を知ることができるからこそ一切の法を変造できる。その知る方法は、一つは業種を知ること、二つは因縁を知ることである。一方で、第八識には見性の機能作用があり、一切の法を見ることができるため、一切の法の生起と転変に合わせることができる。全体的に見て、第八識の見聞覚知性は非常に殊勝であり、また特別で、七識の見聞覚知性とは異なり、我々には了知しにくい。

——生如法師の開示
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万法皆空、因果不空

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