衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年01月07日    月曜日     第5開示 合計1163開示

七識の放逸

現代人はあまりにも俗世に執着しているため、この世の全てが良く見え、俗世を厭わない人々は皆そうだ。彼らが世の苦しみや暗い面を見られないのは、貪愛が強いからである。人の心が俗世に染まっているか離れているかは、言葉の端々に表れるが、自らは気づかない。衆生は皆俗世に執着しているため、六根六識が放逸している。眼識の放逸とは、色を随意に見ること。耳識の放逸とは、声を随意に聞くこと。鼻識の放逸は香りを好み臭いを嫌うこと。舌識の放逸は美味を貪り食うこと。身識の放逸は快適さを求めること。意識の放逸は散乱・昏沈・掉挙である。意根の放逸はあらゆるところに攀縁し執着すること。阿羅漢たちの六根は決して放逸せず、彼らは決して見たり聞いたり嗅いだり味わったり触れたりせず、意識も乱れて考えない。

いつも飲食を好み、美味を求める者は、舌識と意識が共に放逸している。いつも香りを嗅ぐことを好む者は、鼻識と意識が共に放逸している。いつも良い服を着て、良い寝台に住み、全てを快適に求める者は、身識と意識が共に放逸している。いつも過去を回想し未来に攀縁する者は、意識心が放逸している。いつも事事に攀縁する者は、意根が放逸している。我々の第八識を見習いなさい。何一つ好むところがなく、心は常に定にあり、貪りの時もなく、瞋りの時もなく、痴の時もなく、我見もなく、また主ともならず、縁に従って日々を過ごし、また過ごすべき日もない。

——生如法師の開示
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意識と意根の対立

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証法は六七識を同時に証得する必要があります

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