衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2021年06月01日    火曜日     第1開示 合計3419開示

不断煩悩不能証菩提

仏は菩提樹の下で成道されたばかりの頃にこう言われました:“奇哉!大地众生皆有如来智慧德相,只因烦恼妄想而不能证得。”仏は大方広如来蔵経の中でこう説かれました:“佛见众生。如来藏已。欲令开敷。为说经法。除灭烦恼。显现佛性。”“但彼众生。烦恼覆故。如来出世。广为说法。除灭尘劳。净一切智。”“我以佛眼。如实观之。以善方便。随应说法。灭除烦恼。开佛知见。普为世间。施作佛事。” “我以佛眼。观诸众生。烦恼糠糩。覆蔽如来。无量知见。故以方便。如应说法。令除烦恼。净一切智。于诸世间。为最正觉。”“我见众生。种种烦恼。长夜流转。生死无量。如来妙藏。在其身内。俨然清净。如我无异。是故佛为。众生说法。断除烦恼。净如来智。转复化导。一切世间。”“如来观察。一切众生。佛藏在身。众相具足。如是观已。广为显说。彼诸众生。得息清凉。以金刚慧。捶破烦恼。开净佛身。如出金像。” 

以上の仏のお言葉から、衆生は煩悩の遮障のために、自らの如来の清浄な宝蔵である如来蔵 (tathāgatagarbha) を見ることができず、煩悩を断除し、遮障を除消して初めて如来蔵が顕発され、衆生の智眼が清浄になって初めて自性清浄の如来蔵を証得できることが示されています。このことから、私たちが学仏修行において、粗重な煩悩の障礙を調伏し断除できなければ、心は清浄にならず、如来蔵を証得することはできず、我見 (ātma-dṛṣṭi) を断除することもできません。もし煩悩がなく、心が水のように清らかであれば、衆生は世間の如来蔵性と一真法界のみを見て、世間相を見ることはなく、世間相を真の我相・我所相と認めることもないので、我執も法執もなくなり、衆生は本来解脫しており、本来仏であるので、学仏修行する必要はありません。

断我見 (ahaṃkāra-mamakāra-parityāga) の深浅は煩悩を断除する程度と必然的な関係があり、明心の智慧の程度も同様に煩悩を断除する層次と必然的な関係があります。煩悩を断除するほど多く深ければ深いほど、断我見と明心の智慧は深くなり、果位も高くなります。もし衆生が学仏において理論知識だけを学び、自らの煩悩を顧みず、煩悩の現行を認めながらも除滅しようと考えなければ、大小乗の見道を得ることはできず、俱縛の凡夫であり続け、生死を流転してやむことがありません。だから、いわゆる証果や明心したという人で、煩悩が依然として深重であるならば、疑いなく証果も明心もしておらず、ただ仮の名前があるだけなので、大衆が学び倣うに値しません。

——生如法師の開示
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如何才能觉悟自心的心念

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