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日常法話

2018年04月13日    金曜日     第1開示 合計344開示

七大種普周法界

問:地水火風空見識について、地水火風の四大のみが大種子であり、他の空・見・識の三つは大種子ではなく、普遍的でもないと言う人がいますが、そうでしょうか。

答:種子には出生義と転変義があります。例えば花の種子は花を生じ花へと転じ、樹木の種子は大樹を生じ大樹へと転じます。如来蔵中の七大種子はすべて何らかの法へと転変し、それによって特定の機能を発揮します。ゆえにすべて種子であり、すべて大いなるものであり、かつ遍在します。地水火風空は和合して宇宙器世間を生じ、三界に遍く存在します。色のあるところは地水火風の四大種子によって形成され、色のないところは空大種子によって形成されます。物質色法の中にも空大は存在します。そうでなければ物質に空隙や密度という概念はなく、物質内部で他の物質の流動や伝達も起こりません。

物質のないところがすなわち虚空であり、虚空もまた後天に生じた法です。『首楞厳経』にその証拠があります。経文:「虚空は汝が心の内に生ずること、一片の雲が泰清の裡に点るが如し」ここで世尊は明確に、虚空も如来蔵の本心から生じたものであると説かれています。ただ色がなく、物質色法とは異なり、質礙のない色法です。弥勒菩薩も『瑜伽師地論』第一卷で、空と明暗色は眼根に対し、眼識によって見られると述べており、ゆえに空は色法の一種に属します。眼識を向ければ物質の色彩と空間が見えます。したがって空は如来蔵中の空大種子によって生じるものであり、空大種子は無用の置物で何の作用もないわけでも、単なる無意味な名称でもありません。仏が空大を立てられたのは、必ずその真実で実際的な機能作用があるからです。空大に作用がなければ、物質色法の中に空隙はなく、物質に密度や硬度という概念もなく、物質色法が生じる場所もなく、世界は成立しません。

『父子合集経』で世尊は六界(地水火風空識界)を説かれ、他の経典でも六界が説かれています。六大とは六界のことであり、「界」は種子の機能範囲を意味します。空大は種子であり、その機能範囲を持ち、四大・五大種子の機能作用とは異なります。空大が生む虚空は物質の質礙ある色法とも、識大種子が生む七識とも異なります。ここに空大が確かに独自の作用を持つことがわかります。そうでなければ十方世界は成立しません。

同様に、如来蔵中の識大種子も種子であり、生成の義を持ちます。識大種子が輸送されると五識・六識・七識が形成され、七識はその機能と分別作用を発揮します。七識が識種子から生じるのは、花が花の種子から、樹木が樹木の種子から生じるのと同じです。また如来蔵中の見大種子も種子であり、生成の義を持ちます。見大種子が輸送されると如来蔵本体に見性が生じ、一切の法を見ることができます。それゆえ如来蔵は一切の法を運行し、一切の法を生じ、世間の一切の法を円成することができます。例えば衆生は眼識に依って色を見て初めて世の一切の事を行えますが、如来蔵も自身の見性に依って一切の法を運行します。見大種子が輸送されて初めて如来蔵は見性を持つのです。したがって如来蔵中の七大種子はすべて生成の義を持ち、すべて種子であり、すべてその機能を有します。種子は無用の置物や名目的な施設ではありません。

そして七大種子は普遍的に存在し、法界に遍く満ちています。経文による証拠があります。

『首楞厳経』第三巻:「若し此の虚空の性、円く周遍し、本より動揺せずんば、当に知るべし、現前の地水火風は、均しく五大と名づけ、性真円融にして、皆如来蔵にして本より生滅なし……如来蔵中の性覚真空、性空真覚、清浄本然にして、周遍法界」

ここで世尊は明白に示されています。空は空大であり、かつ法界に遍く満ちていると。虚空は十方界に遍く、これも如来蔵性であり、生滅がありません。虚空は如来蔵に包含され、如来蔵の外に出ることはなく、如来蔵中の空大によって生じ顕現されたものです。虚空には地水火風の四大がなく、四大によって生成されたのではなく、空大によって生成されたのです。

『首楞厳経』第三巻:「若し見聞覚知の性、円く周遍し、本より動揺せずんば、当に知るべし、辺際なき動かざる虚空、並びに其の動揺する地水火風は、均しく六大と名づけ、性真円融にして、皆如来蔵にして本より生滅なし……如来蔵中の性見覚明、覚精明見、清浄本然にして周遍法界、衆生の心に随い、知るべき量に応ず。一見根の如く、見は法界に周遍し、聴・嗅・嘗・触、覚触覚知、妙徳瑩然として遍く法界に周り、十虚を円満し、寧んぞ方所あらんや」

ここで世尊は衆生に明白に示されています。見もまた大種子であり、法界に遍く満ち、十虚を円満していると。この見大によって見根が生じ、この見根に依って七識は見聞覚知の性を持つことができます。

『首楞厳経』:「若し此の識心、本より従う所なきに当たりて、当に知るべし、了別見聞覚知は、円満湛然にして、性、従う所より出ずるに非ず。彼の虚空地水火風を兼ねて、均しく七大と名づけ、性真円融にして、皆如来蔵にして本より生滅なし……如来蔵中の性識明知、覚明真識、妙覚湛然として遍く法界に周り、十虚を含吐し、寧んぞ方所あらんや」

ここで世尊は非常に明確に示されています。識は大種子であり、六識と七識を生じ、了知了別の性を持ち、これも法界に遍く満ち、十方を円満していると。
まとめ:七大種子は平行して並列し、共同して衆生の五陰十八界、宇宙器世間を生成します。これらは法界に遍く満ち、円満湛然として十方界に遍在し、すべて業に循って顕現されるのです。

——生如法師の開示
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