識性より無量の如来が流出する。この言葉は極めて重要であり、如来蔵より流出する一切の法は全て如来蔵そのものであり、全て如来である。法法ことごとく真如なり。
十方を諦観すれば唯識なり。識心円明にして円成識に入り、依他及び遍計執を離れ、無生忍を得る。
細心に十方世界を観察すれば微塵に至るまで、全て如来蔵の円成識性に他ならず、如来蔵の変造顕現したものであり、悉く如来蔵性である。識心如来蔵は円満妙明にして一切の法を現ず。かく観じた後、自心の如来蔵に入り、究竟して徹底的に如来蔵に転依し、もはや依他起性の六識心に依らず、遍計所執性の第七識にも依らず、全て真実の自性に依り、真如仏性に依る。一切法が如来蔵であることを証し、真実に生じたことなく、如来蔵の自性も生じたものではなく、本来より存在することを悟り、法執は即時に断ずる。
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