万巻の書物を読むことができても、その意味を知らなければ、真の精進とは言えません。法を学ぶ根本的な目的は智慧を獲得するためであり、無数の知識や学問を蓄えるためでも、学ぶために学ぶためでも、ましてや他人に見せるためでもありません。ですから、智慧を得るために私たちが何をすべきか、どのように行うべきかは、心を込めて考えるべきです。仏を学ぶ者は、仏の心と行いを学ぶのであり、すべての仏の言葉を集めるのではなく、仏の言葉を通して仏の心を理解し、その後仏の心を学び、仏の行いを模倣し、最終的に仏と平等無二となり、人々に慈悲を施すことができるのです。
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