阿含経に記載されている事例も、大般涅槃経に記載されている事例も、いずれも真実であり、確かに一部の外道たちは四禅八定を修得した後、仏の説法を聞いて、わずか数分間思索するだけで我見を断ち、我執を断って四果の阿羅漢となり、そのまま無余涅槃に入った。これらの外道は並々ならず、四禅八定の功徳も並々ならぬものである。私たちの多くは生涯仏法を聞いても我見を断つことができないが、外道は四禅八定を得て、わずか数分あるいはそれより短い時間で、我見を断つだけでなく我執をも断ち切り、即座に無余涅槃に入ることができる。これは不可思議である。考えてみてください、なぜ彼らはこれほど利根なのか。それは彼らが四禅八定を修行する過程で、すでに意根が調伏されており、ただ一つの知見上の誤解が未だ明らかでなく、断ち切られていなかったからである。一度この邪見を断ち切れば、すべての煩悩と執着が即座に脱落する。これが四禅八定の功徳である。このことから分かるように、意根の煩悩を調伏することは四禅八定と非常に密接な関係があり、禅定は極めて重要である。
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