衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年04月08日    日曜日     第4開示 合計322開示

極楽浄土と娑婆世界の相違点

お尋ね:お師匠様、仏国浄土あるいは極楽世界の生活や仕事の様子についてご紹介いただけますか。

お答え:極楽世界のような浄土において、もし日常生活や仕事が存在するならば、それは娑婆世界における在家者の世俗の国土と同様であり、もはや浄土とは言えません。衆生には必ず貪・瞋・痴の煩悩が生じ、必然的に出家者と在家者の二つに分かれ、娑婆世界と何ら変わりがなくなります。

なぜなら、清浄なる仏国土においては、一切が変化によって存在し、労働も生活も仕事も必要としません。そうしてこそ人々の心は清浄無垢となり、私欲も男女の区別も家庭もなく、比類なき清浄さが現れます。ゆえに出家・在家の区別もなく、すべてが修行者なのです。娑婆世界のように男女の区別があり、家庭の束縛があり、仕事や生活が必要だからこそ、出家と在家の区別が生まれるのです。このため仏は娑婆世界においては出家僧を主体とし、大衆を導いて仏法を修行させ、仏教は出家僧によって弘められるように定められました。仏が涅槃に入られる際、在家の菩薩が仏法蔵を継承し代わって仏法を弘めたいと申し出ましたが、仏は許されず、出家僧団に仏法を弘め、三蔵十二部の教えを護持するよう命じられたのです。

清浄なる仏国土や天界においては、衆生に男女の区別がなく、家庭も存在しません。したがってすべては出家修行者であり、改めて出家する必要はありません。家がないのに、どうして出家などできましょうか。

浄土の衆生およびあらゆる大菩薩、はては等覚菩薩に至るまで、家を持つことはありません。現れる姿にも男女の区別がなく、したがって彼らは出家する必要もなく、出家の相を現すこともありません。すべては出家僧であり、しかも菩薩僧なのです。このため彼らは剃髪する必要もなく、法衣を着る必要もなく、出家戒を受けて守る必要もないのです。

——生如法師の開示
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