衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年04月08日    日曜日     第5開示 合計323開示

第八識には見聞覚知があるか

第八識は、私たちが立てる必要はなく、神様は本来より自ら存在しています。私たちが神様を覆そうとしても、神様は滅しません。誰がどんな力を用いても、神様を磨り滅ぼすことはできません。神様は最も真実で最も正しい眼であり、一切の法を見ることができるのに、見る所がなく;一切の法を知ることができるのに、知る所がありません;一切の法を聞くことができるのに、聞く所がなく;一切の法を覚ることができるのに、覚る所がありません。神様は見る所がなくして見ざる所なく、知る所がなくして知らざる所なく、聞く所がなくして聞かざる所なく、覚る所がなくして覚らざる所がありません。

第八識の知なく識なく見る性がないのは、第八識が六塵の境界に対応せず、具体的な了別を行うことができず、世俗の名言や概念も持たないためです。それゆえ神様は六塵の境界を見ず、六塵の境界を知らず、覚知の機能作用も生じません。しかし、第八識はまた無所不知、無所不見、無所不聞、無所不覚でもあります。これはなぜでしょうか。第八識は見大種子を有し、第八識の見の機能作用を出生することができるからです。第八識には見の機能作用があり、神様は一切の法を見ることができ、一切の法を見た後にこそ、世間の一切の法を出生し、七識の見性を出生することができるのです。第八識は業種を了別することができ、業種を了別した後には、業種に依拠して一切の法を変造しなければなりません。もし神様が一切の法を知らなければ、一切の法を変造することはできません。実際には、神様が一切の法を知ることができるからこそ、一切を変造することができるのです。神様の知る方式は、主として業種を知ることなのです。

——生如法師の開示
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