問:カメラの撮影者は第八識であり、五根はレンズであり、それがさらに内なる六塵の影へと変化する。内六塵はこのように幻化されるのでしょうか。
答:撮影する者は即ち第八識である。六識は映像を見る者であり、写真や影像のみを見分け、何を見るか見ないかは意根の指揮による。カメラがどの景物に向けて撮影するかは、意根が決定する。第八識は五根あるいは六根を通じて外の六塵を摂取し、映像化した後、六識がその映像を分別する。六識は映像を見る者である。第七識は映像を見る者を指揮し、撮影者をも指揮する。第七識が指し示す先に、第八識はその場所の六塵の境界を摂取せざるを得ず、六識はその場所の六塵の像を分別せざるを得ない。
カメラがどの景物に向けて撮影するかは、時に意根が決定する。意根が景物を選択した後、第八識は撮影を行う。第八識が何らかの境界を映し出す際、時に意根も主宰できず、第八識が違縁や怨親債主を出現させることがある。これは意根の選択ではなく、意根は第八識にこの景物を撮影させようとはしない。その後、第六識は景物の上に自らの考えや概念を付加し、後処理、潤色、磨皮(画像修正)に相当する。この後処理された景物は種子として蔵される。
故に衆生の五陰活動の背後には、主宰するものがある。たとえロボットであっても人為的に背後で操作され、たとえコンピュータであっても人為的に操作される。人為的にプログラムを設計し、電源を与える。電源は重要であり、五根も電気がなければ動作しない。電源とスイッチを見つけ、その主弁と元栓が究竟どこにあるのかを見出せば、法界の実相を証悟する。弁を開ければ、万法はことごとく現れ出る。
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