衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2018年04月02日    月曜日     第1開示 合計290開示

尽大地都是法王身

尽大地すべてが法王の身であり、まことに偽りではありません。塵ほどの小さな場所であっても、すべて法王の住するところであり、法法ことごとく真如であり、一粒一粒の微塵もみな真如です。法法には何が含まれるのでしょうか。三界世間の一切の法が含まれ、大きくは三千大千世界、宇宙虚空、小さくは微塵や細菌に至るまで、すべて真如です。百草の頭上の西来の意、寸草寸糸も自性を離れず、真如を離れません。この境地に証して、すでに如来の家に入り、きわめて長い期間修行してきたのです。

なぜ法法ことごとく真如なのか。すべての一切の法は、真如の心体である如来蔵の中の七大種子によって生じたものであり、一つの法として七大種子を離れて存在しうるものはないからです。七大種子は世界に満ち、華蔵世界に満ち、世界海に満ち、一真法界に満ちています。

七大種子は皇帝の黄袍のごとく、如来蔵は皇帝のごとくです。皇帝は世界じゅうを巡り、黄袍は身を離れません。黄袍を見れば、皇帝が現れたことを知るのです。世間に如来蔵の土壌でないところは一つもなく、神様の到達できないところは一つもなく、神様の所在でないところは一つもなく、神様の姿のないところは一つもなく、神様でない法は一つもありません。空中から地上に至るまですべて神様であり、山河大地ことごとく法王の身を露わし、すべて如来蔵が変現し出したものであり、すべて如来蔵の執持に依拠してこそ存在しうるのです。

青々たる翠竹は般若 (prajñā) に異ならず、鬱々たる黄花はことごとく法身仏 (dharma-kāya-buddha) です。世界じゅうがみな仏です。これらの言葉を真に理解し、証得するには、必ず初地以上の境地に到達しなければなりません。出世間を含む世間に、一法として、一箇所として、一時として真如でないものはなく、法法ことごとく真如です。これは地上菩薩の観行 (vipaśyanā-caryā) の境地であり、世間に独立して存在し、単独で成立しうる法は一つもなく、すべて真如の変じたものであり、真如の執持するものであり、生であると滅であるとを問わず、すべての変異は、みな真如のなすところなのです。

——生如法師の開示
前へ前へ

瑜伽師地論 第六十三巻

次へ 次へ

身口意行と果報

ページトップへ戻る