衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年01月12日    土曜日     第1 回の開示 合計1174回の開示

真の修行とは個人の独立した修行である

世尊が在世の折、弟子たちに仏法を説かれる際は、その時々に修学すべき法を説かれた後は特に手を加えず、後の修業は弟子たちの自主性に委ねられました。当時の弟子たちは世尊の説法を聴聞すると、静かで妨げのない場所を自ら選び、定中の観行と思惟に勤しんだのです。世尊みずから修行を指導されることは一度もなく、仏七や禅七などの集団修行も一切行われず、弟子各自が独自に仏法を観行し、独力で修行に励み、共修することはありませんでした。

仏法を修学するにおいて最大の利益を得るには、自ら多く思惟し観行を重ねる必要があります。他人に法を細かく解説させず、自らの観行が少なければ得るものも小さくなります。各人が払った代価に見合うだけの利益を得るのです。観行と思惟を重ね、過ちを恐れず、誤りがあれば方向を転じ、あらゆる角度から観行し尽くすことで智慧が生起します。観行による智慧の獲得は自己の課題であり、他人に委ねるべきではありません。大志を抱き、既成の答えを求めることなく、自らの精力と心血を注ぎ、ひたすら思惟すべきです。自ら修すれば自らが得、他が修すれば他が得、修さねば得るものなし。修行によって実証を得て初めて大智慧を獲得し、真の解脱の功徳を享受できるのです。

——生如法師の開示
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