八識の三性:六識の依他起性、第七識の遍計執性、如来蔵の円成実性。前六識は如来蔵が様々な縁によって生じたものであり、縁がなければ六識は生じない。縁には九縁・八縁・七縁などの違いがあるため、六識は依他起性である。如来蔵と意根に依り、業種に依り、六塵に依り、六根などの条件によって現れるため、六識は不自在であり、虚妄であり、空であり、無我である。
遍計執性とは意根である第七識を指し、これはあまねく計度して一切の法を執取し、一切の法を我及び我の所有とする。如来蔵の見分を我の見と執取し、六識の見を我の見と執取し、如来蔵と六識の功徳をことごとく自己のものとして貪り執着して捨てないため、生死を断つことができない。したがって、意根の遍計所執性を変えることによってのみ、最終的に解脱を得て自在となるのである。第七識は一つの無明の念が滅びなければ、自身も滅びない。そして一つの無明の念は無始劫以前から存在しているため、第七識の存在には始まりがなく、依他起性ではなく遍計所執性である。これは無明があまねく一切の法を執着するためである。第七識である意根自体の体性には遍計執性があり、人我を執り、法我を執り、万法を執る。ゆえに執性によって生死を解脱できず、涅槃を得ず、大自在を得ないのである。
円成実性とは如来蔵を指し、これは世間・出世間の一切の法を円満に成就することができる。一切の法は皆これによって生じ成就し、これがあれば一切の法があり、これがなければ一切の法はない。如来蔵の円成実性は、業種と業縁に依って円満に一切の法を成就することができ、善法であれ悪法であれ問わない。したがって、如来蔵を除いて他の法は全て生滅法であると言われる。
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