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日常開示

2018年03月28日    水曜日     第2 回の開示 合計271回の開示

独影境は勝義根内に現れる仮想映像

問:独影境は勝義根に変現されたもので、单独の種子があるのでしょうか。

答:独影境は勝義根に変現され、单独の種子を有します。独影境は五塵上の法塵に属さず、五塵とは無関係であり、勝義根における法処所摂色ではなく、独自の業種に由来するものです。これは独頭意識が単独で了別する法塵であり、五識と共に了別する法塵ではありません。ただし独影境も勝義根の影響を受け、勝義根に障害がある場合、現れる独影境は歪んだものとなります。例えば小脳が萎縮している人はしばしば幻覚を起こし、その了別する独影境は全て非量(不正確な知覚)であり、真実の状況に合致しません。病人が錯乱した独影境を分別した後、誤った観念を生じ、口からは常人とは異なる妄語が発せられるのです。

意根は通常大脳部において法塵と接触し、大脳部の法塵を了別します。意識も同様に大脳部の法塵を了別し、大脳の外に出ることはありません。意根と意識は共に独影境に触れることが可能であるため、独影境も大脳を離れません。従って大脳に病変があると、独影境は錯乱します。独影境は大脳勝義根内の独立した領域に成像し、五塵と共在せず、五塵上の法処所摂色とも共在しません。五塵上の法塵を了別する意識を五倶意識と称し、独影境を了別するものを独頭意識と称します。名称は異なれど本質は同一の意識であり、一つの意識でありながら、五塵上の法塵と独影境を同時に了別し得るのです。独影境の種子は如来蔵より独自に発現し、五塵を生成する種子とは同一ではありません。

我々が心静かな時、自らを観察すれば、心が動く時、或いは動心する時、必ず同時に大脳神経の跳動を引き起こし、次に顔面神経の跳動が生じ、その後手足乃至全身に相応の反応が現れることに気付くでしょう。もしそうであるならば、これは心の動きが色身を動かし、心の動きには独頭意識と五倶意識の動き、更に意根の動きが伴い、識心は大脳を離れず、六塵影像と独影境も大脳を離れないことを示しています。

目の前に金星が飛ぶ現象は独影境であり、物質色法の関係によって生じたものです。血圧が異常で眩暈を起こす時、時に目の前に金星が現れますが、実際にはこれは幻覚であり、真実の金星は存在しません。しかしこの独影境の金星も物質色法と関係があり、大脳と関連しています。では金星は何処に現れるのでしょうか。これも大脳内に現れるべきです。意根と意識は大脳の外に出て法塵を縁取ることがないためです。脳に病変や障害があり栄養が不足すると、意識は物事を想起できず、独影境が現前しなくなります。これは独影境が大脳の物質色法と密接に関係していることを示しています。別の面から言えば、我々が回想や妄想をする時、脳波に波動が生じます。これは意根と意識が独影境を了別することが大脳に影響を及ぼし、独影境も大脳内に成像する仮想の像であることを示しています。

もし独影境が大脳内に現れず、体外に現れるならば、独影境は体外や虚空に存在し得るのでしょうか。六識は体外や虚空で了別し得るのでしょうか。意根は体外や虚空で作用し得るのでしょうか。もし意根と意識が虚空で了別し得るなら、虚空の識は全ての者が共有し、彼此の区別がなくなります。貴方が了別すれば私も知ることになり、貴方が満腹になれば私も空腹でなくなる。実際これは不可能なことです。貴方が修行を決意すれば私も決意し、貴方が悟証すれば私も悟証することになります。なぜなら虚空の識は自他を分かたないからです。私が仏を念じる時、仏の三十二相は私の独影境です。もし独影境が虚空にあるなら、全ての者が見ることができ、皆が仏を念じて功徳を受用することになりますが、実際これは不可能です。我々が見る虚空さえも勝義根内の虚空であり、心の外に出ず、眼識と意識が了別する虚空も勝義根内にあり、一つの影像に過ぎません。以上を総括すれば、独影境は勝義根内の影像であり、仮想の相であって真実ではないのです。

——生如法師の開示
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